決心・準備
和田山町福祉村構想と巡り合って
神戸市長からお聞きした条件の一つである法人格は、長谷川保の導きで聖隷福祉事業団の傘下に入るという形で確保。しかし二つ目の条件である自己所有地はなかなか好都合なものに行き当たりませんでした。
半年ほどして突然、兵庫県和田山町から、並河寛治町長が推進する「和田山町福祉村構想」への参画の案内が届きます。竹田城跡で有名な竹田の町の、円山川をはさんだ「但馬吉野」と呼ばれる立雲峡のふもとの丘陵でした。
再び夢が広がりましたました。「建設準備委員会」メンバーは壮大なマスタープランを描き上げます。特別養護老人ホームのみならず、障害者施設、病院、福祉大学、高齢者マンションなどを10年計画で設置する、まさに「夢」プランでした。
障害者福祉施設に事業転換して進展
特別養護老人ホームを具体化しようとしたその時、兵庫県から但馬地方には既に建設中の特養があるため、2つ目の特養を支援できない、と突然の連絡。身体障害者施設の整備に切り替えて欲しいというのです。
マスタープランには障害者施設も計画に入ってましたので、建設準備委員会はこの方向転換を受け止めることができました。この事業転換が、のちの神戸聖隷福祉事業団の在り方を決定する大きなターニングポイントになります。
和田山町の強い後押しと聖隷福祉事業団の協力で、地元住民への説明や用地買収などがスムーズに進み、1974(昭和49)年9月に計画変更協議を県に申請。1976(昭和51)年の開園に向けて、西神戸教会から4家族と3名の単身者が大きな決心をして竹田に移住して行きました。